カンヌ国際映画祭グランプリに輝いた『木靴の樹』から30年、イタリアの名匠エルマンノ・オルミ監督が、自身の映画人生、最後の長篇劇映画と位置づける作品が、本作『ポー川のひかり』である。
若い哲学教授が、時代に絶望し、過去を捨て、光あふれるポー川を遠くさかのぼり、岸辺の廃屋に住み始める。そして彼をその風貌から「キリストさん」と呼ぶ、素朴な村人との交流をとおして、生の息吹を蘇らせ、真実を見出してゆく――。
ポー川は、イタリア北部を西から東へ、茫漠とした平原を蛇行し、ゆったりと流れる大河だ。古くからイタリアの芸術家に愛されてきた、このポー川流域の美しく牧歌的な時間のなかに、オ
ルミ監督は現代の寓話を見事に描き出した。
絶え間ない紛争、環境問題、さらに経済危機と、今日、世界は急速に破局の危機を迎えようとしている。
深い精神性を湛えた作品を撮り続けてきたオルミ監督は、この病める時代に、新約聖書の世界をとおして、人生の豊かさとはなにかを問い、希望のしるしを探ろうとした。
そして完成したのが、イエス・キリストの寓意をひそめ、心を癒すやさしさに満ちた本作である。まさに誠実な人生の結実を感じさせる渾身の作で、余韻は限りなく深く、しかも突きつける
問いは根源的である。ここには「温もりのある、真に豊かな生活を得るために、もう一度始まりに帰ろう」という、オルミ監督の現代社会に対する痛切なメッセージがこめられている。
『木靴の樹』で、自然のなかに生きる農民の暮らしを丹念に見つめたオルミは、本作でも、太古から、人間の暮らしと共にある、水、光、炎、風など、自然の事象をやさしく大切にとらえて いる。野をわたる風、驟雨、岸辺を包む光、論文を燃やす炎のゆらぎ、夜の水面の静謐…。オルミの息子、ファビオ・オルミのカメラは、自然の豊かなディテールを見事に映し出してゆく。そして光と影が繊細に織り成す絵画のような映像は、観る者を魅了する。