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ダニエラ:Monica Bellucci モニカ・ベルッチ
1964年、イタリア中部のウンブリア州、チッタ・ディ・カステロに生まれる。
ペルージャ大学在学中よりモデルの仕事を初め、トップモデルとして活躍。
90年より女優業に進出し、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ドラキュラ』(92)でハリウッド・デビュー。以降、フランス映画『アパートメント』(96)ではセザール賞有望女優賞にノミネートされ、『ドーベルマン』(97)などヒット作に出演し、女優としての地位を確実なものにしていく。00年、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『マレーナ』に主演した彼女は、周囲の偏見に屈せず夫の帰還を待ち続ける美しい人妻を体当たりで熱演、高い評価を受ける。これ以降『ジェヴォーダンの獣』(01)『アレックス』(02)『ミッション・クレオパトラ』(02)と、大作、話題作に立て続けに出演。そして03年、ハリウッド超大作『マトリックス』(99)の続編、『マトリックス リローデッド』(03)『マトリックス レボリューションズ』(03)の2作に出演、ハリウッドにおける名声を不動のもとし、世界的トップ女優の仲間入りを果たす。その後も、メル・ギブソン監督の物議を醸した話題作『パッション』(04)やテリー・ギリアム監督の『ブラザーズ・グリム』(05)といった大作に出演。そのパーフェクトな美貌は"イタリアの宝石"とよばれ、現在イタリアでもっとも世界的成功を収めた女優の一人である。06年、第59回カンヌ国際映画祭では、審査員を務めた。『アパートメント』(96)、『ドーベルマン』(97)で共演した俳優のヴァンサン・カッセルと結婚し一児の母でもある。


フランソワ:Bernard Campan ベルナール・カンパン
1958年、フランス南西部アジェンに生まれる。
コメディグループ、"レザンコニュ"の一員として人気を集め、85年にメンバーのディディエ・ブルドン、パスカル・レジティミュスとともに
「LE TELEPHONE SONNE TOUJOURS DEUX FOIS」に出演。95年の『おかしな三兄弟』に再び3人揃って主演し、大ヒットを記録。カンパンはブルドンとともに共同監督を務め、セザール賞第一回監督作品賞に輝く。99年にはアンヌ・フォンテーヌ監督の『オーギュスタンの恋々風塵』に出演している。02年フランス映画際では『記憶の森』(01)が上映され、来日も果している。




シャルリー:Gerard Depardieu ジェラール・ドパルデュー
1948年、フランス中部シャトールーに生まれる。
札付きの不良少年で、16歳のときにパリに出て、更正施設に入れられる。そこで治療の一環として演技に触れ、出所後、コンセルヴァトワールで演技を学ぶ。60年代末からTVや舞台の端役を得る。映画デビューは67年の短編映画「Beatnik et le minet」。『バルスーズ』(73)では、ミュウ=ミュウ、パトリック・ドヴェールとともに70年代の奔放で無軌道な青春像を体現、ジェラール・フィリップ賞に輝くなど、一躍注目される。その後『1900年』(76)『ハンカチのご用意を』(78)など、話題作に主演して国際的な脚光を浴びる。81年には『終電車』でセザール賞主演男優賞に輝き、『ダントン』(82)では全米批評家賞、主演男優賞を受賞。さらに、ヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞した『ソフィー・マルソーの刑事物語』(85)、カンヌ国際映画際パルムドール受賞作『悪魔の陽の下に』(87)など、次々と話題性のある大作に主演し、フランス映画界を代表する俳優の地位を確実なものとする。88年にはレジオン・ドヌール勲章を授与され、また90年には『シラノ・ド・ベルジュラック』(90)でカンヌ映画祭主演男優賞に輝き、2度目のセザール賞主演男優賞を受賞、アカデミー賞候補にもなる。アメリカ映画『グリーン・カード』(90)でゴールデン・グローブ賞主演男優賞を受賞し、リドリー・スコットの『1492コロンブス』(92)、ケネス・ブラナーの『ハムレット』(96)など世界に活躍の場を広げた。
さらに、『美しすぎて』(89)、『メルシー・ラ・ヴィ』(91)などブリエ監督作品には欠かせない存在でもある。
息子は『ポーラX』(99)『天使の肌』(02)のギョーム・ドパルデュー、娘は『パリの確率』(99)『恋は足手まとい』(05)のジュリー・ドパルデュー。


アンドレ:Jean-Pierre Darroussin ジャン=ピエール・ダルッサン
1953年、フランス、パリ北西部クルブヴォアに生まれる。
コンセルヴァトワールでマルセル・ブリュワルに師事し、卒業後はピエール・プラディナスの劇団で活動を始め、数々の舞台出演と演出者としてのキャリアを持つ。フィリップ・ド・ブロカ監督の「PSY」(81)で舞台から映画へ進出。その後も、ブリエ監督の『真夜中のミラージュ』(84)、『トレンチコートの女』(85)、といったヒット作に出演。また、セドリック・クラピッシュ監督作品の常連で、『百貨店大百科』(92)に続き、『家族の気分』(96)ではセザール賞助演男優賞を受賞。ロベール・ゲディギャン監督の『マルセイユの恋』(96) ではセザール賞助演男優賞にノミネート。
98年はギヨーム・ニクルー監督の「Le pouple」でセザール賞主演賞にノミネートされるなど、出演毎に高い評価を得ている。アラン・レネ監督の『恋するシャンソン』(97)、ジャン=ピエール・ジュネ監督の『ロング・エンゲージメント』(04)など、フランスを代表する監督の作品にも欠かせない存在となった。また、舞台出演も続け、カリエール作《La Terrasse》(96)、ウラディーミル・ヨルダノフ作・演出《Droit de retour》(00)などにも出演。実力派ながら、常にさりげないところが魅力で、独特の雰囲気と深い味わいを残す名優。
来年日本公開予定の、コリーヌ・セロー監督の新作「Saint jacques...La Mecque」(原題)
でも好演している。


監督:Bertrand Blier ベルトラン・ブリエ
1939年、フランス、パリに生まれる。
父親はフランスの名優ベルナール・ブリエ。父親の影響を受け高校を卒業後,映画に興味を持ち、ドニス・ド・ラ・パトリエール、クリスチャン=ジャック、ジャン・ドラノワらの助監督見習いを経て、60年にジョルジュ・ロートネルのチーフ助監督に就任。そして当時流行だったヌーヴェル・ヴァーグに対抗する実験映画として、若い世代の意見をコラージュ風に描いた異色の青春映画『ヒットラーなんか知らないよ』(63)で監督デビューを飾る。その後、二人の不良青年の破天荒な生き方をコミカルに描いた衝撃作『バルスーズ』(73)は、批評家の支持も受け興行的にも成功し、第一線で活躍する監督達の仲間入りをすることになる。それと同時に主演のジェラール・ドパルデューやミュウ=ミュウの名を一躍有名にする。その後、夫婦と若い愛人の性関係に天才少年が絡む様を描いた『ハンカチのご用意を』(78)では、アカデミー外国映画賞他数々の賞に輝くなど、フランス映画界にて確固たる地位を築いた。ドパルデューを主演にした『料理は冷たくして』(79)では、セザール賞最優秀脚本賞を受賞。この作品には父親のベルナール・ブリエも出演している。また、『真夜中のミラージュ』(84)でも同賞を受賞。その後も精力的に活動を続け、三人の男女の奇妙な三角関係を描いた『タキシード』(86)をカンヌ国際映画祭に出品、ミシェル・ブランが主演男優賞を受賞している。89年には、美しすぎる妻を持つ夫が平凡な中年女性へ 惹かれていく『美しすぎて』を発表。
カンヌ映画祭審査員特別賞、セザール賞の作品賞、監督賞、脚本賞を獲得している。91年には、シャルロット・ゲンズブールとアヌーク・グランベールの主演作『メルシー・ラ・ヴィ』を監督。現在、過去、未来が錯綜する異色の青春映画に仕上げた。その後、『私の男』(96)では、主演のアヌーク・グランベールが、ベルリン映画祭で女優賞を受賞した。
一癖もふた癖もある奔放で自由な恋愛を描き続け、男女の衝撃的な性と愛の問題をテーマにした作品を得意としている。本作では、第28回モスクワ国際映画祭の監督賞を受賞している。なお、娼館の客の一人としてカメオ出演もしている。

1963『ヒットラーなんかしらないよ』
1967「Si J'etais un Espion」
1973『バルスーズ』
1976 「CALMOS」
1978『ハンカチのご用意を』
1979『料理は冷たくして』(V)
1981「Beau-Pere」
1983「La femme de mon pote」

1984『真夜中のミラージュ』(V)
1986『タキシード』
1989『美しすぎて』
1991「Contre L'oubli」
1991『メルシー・ラ・ヴィ』
1993「Un, Deux, Trois, Soleil」
1996『私の男』
2000「Les Acteurs」
2003「Les Cotelettes」


※『』…日本劇場公開 /「」…日本未公開 /『』(V)…ビデオ発売

 
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