1953年12月3日、印象派の画家たちが好んで描いたことで知られる南仏マルセイユ近郊の小さな港町エスタックに、アルメニア人の港湾労働者の父とドイツ系の母のもと生まれる。少年時代はゲーテとの出会いを経てドイツ・ロマン派文学に夢中になり、リセに入る頃にはマルセル・パニョルによるマルセイユを舞台にした映画を知り、カール・マルクスの著作にも親しんでいたという。
71年、エクサン=プロヴァンス大学に入学。この頃より映画に急接近し、また、マルセイユのコンセルヴァトワールの学生だった、のちに妻となる女優のアリアンヌ・アスカリッドとも出逢う。その後、パリの社会科学高等研究院に進み、「労働運動の歴史における国家の概念」と題した博士論文に着手。労働運動にも積極的に関与する一方、コンセルヴァトワールの生徒であったジャン=ピエール・ダルッサンや、妻アスカリッドの指導教授だったアントワーヌ・ヴィテーズらの知己を得、ブレヒトの演劇論にも傾倒するようになる。 78年、フランス北部の小さな町を舞台にした映画を撮ったばかりだったルネ・フェレ(のちに『夕映えの道』や『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』を監督)と出会う。フェレはゲディギャンを映画の世界へと誘い、同時に地方を舞台にした自らの製作会社によるフェレの映画づくりは、ゲディギャンに大きな影響を与えることとなる。
そして'80年、処女作「Dernier été」を、ルネ・フェレの援助を得て完成。故郷エスタックを舞台にしたこの処女長篇は、工場で働く仲間たちが困難にぶち当たり、そのなかでの友情や愛を描くというもの。妻のアスカリッドをはじめ、古くからの友人であるジェラール・メイランらが協力し、一般からも批評家からも好評を博し、一躍その名を知らしめる。
さらに85年には、苦労を重ねながらも第2作「Rouge midi」を、ふたたびエスタックを舞台に撮る。1920年から75年までの半世紀にわたるある一家の歴史が語られてゆくこの作品でも、アスカリッド、メイランをはじめとするなじみの俳優らが集い、ゲディギャン映画のスタイルの完成を見る。
社会派の装いをととのえながらも、失業、友情、愛情、あるいは小さな罪…などなど、ありのままの人生をさらりと描きだして見せるゲディギャンの映画は、小さくとも誠実な映画づくりを目指す。その姿勢は、現在、フランス映画の大きな流れのひとつとなっている地方発映画の流れを加速させ、大きな潮流を育む原動力ともなっている。
2011 | キリマンジャロの雪 |
2009 | L'armee du crime |
2008 | Lady Jane |
2006 | Le voyage en Arménie |
2005 | Le promeneur du champ de Mars |
2004 | Mon pere est ingénieur |
2002 | Marie-Jo et ses 2 amours |
2000 | La ville est tranquille |
2000 | À l'attaque! |
1998 | 幼なじみ |
1997 | マルセイユの恋 |
1995 | À la vie, à la mort! |
1993 | L'argent fait le bonheur |
1991 | Dieu vomit les tiedes |
1985 | Ki lo sa? |
1985 | Rouge midi |
1981 | Dernier été |
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